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生き物は皆食べ物となって繋がり合っている。食い物に毒を付けて食べるのは現代人だけかも。

2016/02/19 18:18
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農薬を一切使わないで作物を作り始めて10年近くになる。
今年の冬休みに図書館で目にした農薬の本を借りてきて読んでみた。
活字を目で追う作業は昔から苦手である。
半分も読んでないうちに返品日がやって来て返すことになったが、もう一度借りて読むことはしなかった。
内容が面白くなかった訳ではない。
本を読む事よりも外仕事が好きだからだ。

その本から教わったことは農薬とは元々植物が持つ自衛の為の毒物であると言うことと、その毒物を持たずまた栄養価の高い植物、いわゆる野菜と言われる物が人の手によって長い年月を掛けて作られてきたと言うことだった。

農薬を身体の中に持たない野菜は人にも食べやすいと共に昆虫や微生物にとっても食べやすいと言うことで、ましてや化学肥料で作られたものは栄養価が一層高く繁殖を目的にしている生き物にとっては最高の食材や住処になるということだった。

農薬を持たない野菜に人以外の生き物から守るために化学農薬を掛けて食す現実は現代社会の矛盾としか言いようがない・・そう思う。これは経済的な事を優先するが為に添加物同様にしょうが無い事項となっているが、やはりおかしい。


栄養過多の野菜作りはどうしても農薬散布という流に傾くという話だが、もう一つ農薬に頼ってしまう理由が書かれていた。
モンゴルだったかキルギスだったか大陸の草原で10メートル四方の広さの中、昆虫の数と種類を調べた後、そこに麦畑を作ったそうだ、200種類、数も300と多かった昆虫は半数近くに減り種類はほんの17種類ほどになり、その数の90%近くが1種類になってしまったそうだ。多種多様の植生の中では一種類の昆虫だけが偏ってに繁殖することは無いが、偏った環境になるとその環境に対応出来る生き物だけとなり、それが大量発生の原因に繋がるという事だ。
松食い虫の害も松ばかりの所で発生しているという訳だ。
山全体を一種の植生で植林してしまうやり方は農薬で自然環境を汚染させないためにもこれからは改めていきたいものだと思う。
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アコーデオンの練習再開しました。

2016/02/15 21:22
全く触らずに2年以上経ってしまっていた。

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埃のかぶっているビニールケースから出してみると、綺麗な素敵なアコーデオンがあった。
前回は蛇腹の開き方と閉じ方までやった所で止まってしまっていた。

早速初期の初期から又おさらいだ。
肩ベルトの調節アコーデオンの持ち方ボタンや部分の名所や使い方。

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今日から毎日10分間はアコーデオンを持とうと思った。
継続こそ力なり
これにつきる。
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どうしても貧乏性。

2016/02/15 21:07
先日お気に入りで長く使っていた革ジャンの脇の下が大きく開いてしまった。
荷物を持って運んだ時にどこかくぎの頭みたいな所へ引っかけて裂けてしまったようだ。
一昨年だったかファスナーが壊れたので7000円も掛けて直した革ジャンだった。

他にもサイズの大きな革ジャンを持っているのでそれを着れば良いから今回ばかりは捨てようと思ったのだが、直せば着れないことはまだ無いか・・・
貧乏性が手を振って目の前に出てきてしまったというわけだ。

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手縫いでとにかくくっつけてみたら・・・目立たなくなった。
他も所々確認してみると小さな穴と裏地がほつれていたりと結構修理が必要だった。

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ここも直せばあと2年は大丈夫かなぁ。
こたつにあたりながら1時間くらいで修理完了。

こないだ長いこと使わなかったプロテクターの入ったバイクジャケットをリサイクルやへ持っていったのです。
新品で買うと2万ほどすると思うのだけれど、まだ新品同様だったのでせめて1000円位でと思っていたらなんと100円だと。
使わないものを持っていてもしょうが無いのだけれども、100円はショックだった。

今年はリサイクル屋じゃなくてフリーマーケットを大いに利用しようと思ったのだった。
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無関心で在ることも幸せに生きる為の1つの方法。

2016/02/01 05:28
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鳥によってはカラスと鳶のように良く空中戦をしてけんかする姿を見るのだが、殆どは余りけんかをしていないようだ。
それぞれに食べ物が違うという事がけんかをしない条件なのかもしれない。
同じ木に止まっていても全く気になる様子は無く仲良くしている。
犬や猫は狩りをしたいという野生の為かつい動く物を捕まえたくなるようだが、けんかを売る気はなさそうだ。
基本的に食べ物さえちゃんと目の前に在れば野生の生き物はお互いに無関心で平和に生きているのでは無いだろうか。


平和に生きるという事はどういうことだろうかとよく考えたり思ったりするようになった。
マスコミが集めてくる世界中の不条理や理不尽や暴力を毎日目や耳にしていては平和に生きるなどという事はきっと出来ないだろう。
たとえ収入や物が貧しくても自分の暮らしの周りにいる人達の幸せを一緒に作っていく暮らしがやはり人として平和に生きていく基本では無いだろうか。
家族や隣人の仕事やその報酬が良くなっていかない限り、いくら政府の答弁が景気が良くなっているなどという数字をあげられてもそれは平民にとって嬉しくなる理由にはちっともなっていないと言うことを現金収入の多いトップに立つ人達は考えられないのだろう。

いつの時代でも何処の国でもそうなのだろう。
まあ、政治家は現実のことよりも先の良いことしか言わないからなぁ。
実際のことは過去を見れば判るだろうけど。

原発の再稼働が順調に進んでいるようだが、結構問題も多いようだし、リニアも順調に進んでいるようだが、問題が多すぎるようだし、原発事故によって広い範囲での放射能汚染もその問題はますます深刻になってきているし・・・
その多くの現実の問題が全くマスコミ報道しないさせないというこの日本はやはり問題だらけなんだなぁ。
それが深刻で大きいほど出てこないようだし。

どんな生き物で在ろうとどこに住もうと皆この地球の上で繋がって生きていることに違いない。
無関心で在ろうと深く関わろうとそれぞれ生と言う道を歩いているというその行為に違いは無いだろうし、一方方向だけに向かって一斉に歩く道も又つまらない気がしている。

弱って死んでいく事も新しく生まれてくる事も何も不思議な事では無く、只生命として自然にある事が全てなのかもしれない。

自分もそうだが人は余分な物事までもほしがってしまう欲という悪を持っている事が何とも苦しい。
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きんぴら工房自然農園長生活日記 2016年2月のブログ記事/BIGLOBEウェブリブログ
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